もし足が悪くなったとしても『私は手伝わない』って宣言する意味。〜母との会話から〜

先日、久しぶりに母と電話。

近くにはいるけれど、最近はあんまり会っていない。

私と母との関係って、なんとなく面白い。

電話とか会ったりとかするときに、大阪のおばちゃんが二人って感じで、はたから見たら、すごい勢いで話しているらしい。

仲良し親子的な感じで買い物したりとかはないけど、しょうもない会話をしたり、時には教育のことを議論したりする関係。

本当は用事があって話していたはずなのに、しゃべっているうちに、本題を二人で忘れる。

二人とも聞いているようで聞いていない。笑

それはともかくとして、母もいいお年になってきて、まだまだ元気だけど、電話で介護についての議論をした。

足が悪くなっても手伝わないよ

以前から足の調子が良くない母。

それでも、自分で調整しながら、父と旅にも出る。

そんな母に私はいつも

『足悪くなっても、助けへんからね。』

と言う。

ぱっときくと、冷たいムスメって思われるかもしれない。

でも、私なりに思いがある。

・もちろん、元気でいてね

という意味でもある。一応、激励である。笑

・自分の体調は自分で管理しなさいよ

怪我してしまったりしたらしょうがないけど、自分でできる体調管理は自分で。

自分の力でやってやるーー!って気持ちが一番やからね。

それはまさにおばあちゃんから学んだ。

おばあちゃんはガンでの闘病中、最後まで自宅にいることにこだわっていた。(それを受け入れた母にも頭が上がらない。)

体がしんどいにもかかわらず、最後まで気力で自分でトイレに行こうとしていた。

本当にすごい人だなと思った。

気力があるかどうかって、まさにその人の生き様。

最後までその人の人生だなと思ったので、気力、気持ちがあるってかっこいい。

・できることは自分でやるんだよ

手伝わないの意味合いは、これが一番近いかな。

もし足が悪くなってしまったとして、その時に周りの人が手取り足取りするのは違うって思ってる。

昔、おばあちゃんが足の甲を骨折した時、私は母に、あんまり手伝わんでいいよって言った。

それは、おばあちゃんがかなり気合で生きてる人だったのもあるし、骨折した場所が足の甲で意外と動けたのもある。

ある程度は一人でできたからむしろほっておいた方がいいと思った。

これはすごいと思ったけど、骨折中のおばあちゃんと一緒に家族で旅行にも行った。

もちろん、車椅子にもたくさん乗りながらやけど、でこぼこ道や階段が多くある滝にも行ったり。笑

あまりのでこぼこ道は自分で歩いてもらったり。しんどいところだけは、みんなで助け合った。

こっちがなんでもやってあげちゃうと反対に動けなくなっちゃう。

だから、基本的出来ることは自分でやる。

手伝うのは、どうしてもできない時だけ。

そう思ってるよと母にも伝えました。

結局のところ、信頼すること、待つこと

これは、子どもたちへの教育の現場でもひしひしと感じることですが、『信頼』できるかどうかは大きい。

この子にはきっとできないとか決めつけてやらないのではなく、きっとできると信じて、待つ。

なかなか待つのとか、見守るのって、イライラするとは思うけど、出来る限り待つ。

母とも、やっぱり、手伝ってしまうからダメになるんよなー。って話をしたら、共感してくれていた。

これはフィンランドでの視察ツアーで感じたことでもある。

フィンランドの介護施設とか、日本と真逆で、縛り付けたりとかしないし、好きなように生きるお手伝いをしてくれるのが、フィンランドの介護施設なんだと感じた。

これから、両親にどんなことが起こるかはまだまだわからないけど、足が悪くなっても手伝わないよ、第二の人生を楽しむんだよ!って‘今は‘伝えてる。

存在するだけでありがたいって母から言われるようになって、感謝しかないけれど、こっちからは、目に見える感謝はあまりできていない気もしているので、わずかばかりの手作り味噌をプレゼントしました。