その1、その2はこちら。
私の人生最大のレジリエンス力を発揮した日々 その1〜友人の‘死‘から10年 辛い出来事からの気持ちの変化〜 – Marikoさんの学ぶ日々
私の人生最大のレジリエンス力を発揮した日々 その2〜友人の‘死‘から10年 辛い出来事からの気持ちの復活〜 – Marikoさんの学ぶ日々
ここからは別れの日のお話なので、辛い方は飛ばしていただいた方がいいかと思います。
突然の電話
彼女と会った日から一週間後、昼過ぎだったのか、15時くらいだったか、友人から泣きながら電話がかかってきた。
彼女が亡くなったと。
よくよく携帯を見てみたら、友人の電話の前に彼女のお兄さんから電話(最初は誰からかわからなかった)がかかっていた。
その日にお通夜で、次の日がお葬式と連絡があった。
その日、大学近くの友人宅で晩ご飯を一緒に作ろうとしていた時だった。
全然どうしたらいいかわからず、家から大学までも1時半以上かかるくらい遠かったので、今から帰ってもお通夜に間に合うかもわからない。
なぜか行くことを躊躇していた。
一緒にいた友人が背中を押してくれ、急いで家に帰り、お通夜の会場まで行った。
やはり、お通夜は終わったところでしたが、お焼香だけさしてもらいました。
嘘だと言ってほしい。そんな気持ちでした。
現実を受け止められないまま、その場でお家の人と少しお話をしました。
友人で最後に会ったのが私だった
お通夜の後、ご家族が声をかけてくださった。
最後に一緒に遊んでくれたんですよね。
私とのやりとりのメールを見られて、連絡をくださったようでした。
友人としてあったのは私が最後だったと教えてくれました。
亡くなったのは、私と会った二日後のことだったそうです。
発見は少し遅くなってしまい、一週間後になってしまったと。
細かいことは今も聞いていない。
聞いたことは、遺書があったことと私に出してくれた余りのカレーがそのまま残っていたことだけ。
彼女は、自分で決断をした上で、私と会ってくれたんだろうなとその時感じました。
家族葬だったので、多くの友達に声をかけていなかったのですが、一部の仲よかったメンバーを呼んでくださったようでした。
次の日のお葬式も行かせてもらうことに。
配慮していただき、焼き場まで一緒に行かせてもらい、お葬式のあとの会食までいただいて。
当時から写真好きだった私が彼女との最後の日に撮った写真を持っていったり、高校時代の思い出の写真を見たりして。
あの時ほど、笑おうとしながら大号泣した日はありません。
暗い雰囲気が苦手な私はなんとか楽しくしようって。でも、もちろん悲しすぎるんですが。
人前で泣くのが苦手な私が、楽しい会話を振ろうとしながら、ずーーーっと泣いていた。
でも、ご家族にとっては、少しでも明るい声が聞こえて救われました。ともいってくださいました。
たんぽぽの綿毛と幼いころの彼女
この話はまさにトランスパーソナル心理学(超越心理学)を体感した話です。
※トランスパーソナル心理学とは、人間も動物も植物も地球も全て見えないところで繋がっているという考え方です。
その2で書いた、たんぽぽの綿毛の話。
お葬式の日に写真と一緒に、ご家族にたんぽぽの綿毛の話をしました。
そうすると、ご家族が幼い時の彼女の写真を持ってきて、見せてくださいました。
幼い彼女がたんぽぽの綿毛をふーっとしている写真。
実は、小さいころ、たんぽぽの綿毛をふーっとしても飛ばしせなくて、茎を振って飛ばしていたんだとか。
その小さいころの写真がすぐに出てきたこともすごいし、最後にそんなことがあったのもすごい。
その写真を並べてみんなで泣き笑いました。
1ヶ月にもたんぽぽの綿毛と子ども
彼女の死を全く受け入れられないまま、時間だけが過ぎていった。
毎晩涙が溢れ、彼女の死があっても、世の中は何もなかったように時間がすぎる電車の中もつらくて。
周りには大丈夫オーラを振りまき、心の底からは笑えず、作り笑いをしたりしてやり過ごしていた。
1ヶ月たったころ、いつものように自転車で大学まで向かっていた道すがら。
パッと幼稚園くらいの子ども二人とお母さんがいて。
子どもの手元を見ると、たんぽぽの綿毛を持っている。
でもね、ふーってやっても飛ばない。がんばれーって感じで笑ってる姿を見かけた。
それを見て自転車を漕ぎながら号泣していました。
彼女が近くで見ているような、どこかで繋がっているようなそんな気がしました。
少なくとも1年くらいは、ひどく落ち込んでいました。
どう気持ちを整理していいのかわかりませんでした。
次は、ここまで心の整理をするためのレジリエンス力として過去の出来事をどう整理するかを書きたいと思います。