完璧にできなくていい。〜完璧主義からの脱却へ向けて過去と今を見つめる〜

これまでやりたいことに対して、行動できなかった理由の一つとして、

完璧でなければならない

という、捉え方やビリーフが強かったこと。

しかも、それが当たり前だと思い、自分で自分を苦しめていた。

完璧主義だね。と、社会人になってから何人もの人に言われて、頭ではわかっていた。

だけど、これが染み付いて取れない。

いろんな本を読んだり、人に話を聞いてもらったりして、少しずつほぐされてきた部分がありました。

少しずつ見えてきたことがあるので、書いておきたいなとおもいます。

過去の私〜吹奏楽を楽しめない私〜

完璧じゃないと認められない。

自分の心を大切にせず、他の人の正解に近づく努力ばかりしていた。

人から認めてほしい!!そのためにきちんとする!!というのが、私の感覚だった。

今となっては、完璧って何?って感じやけど。その当時は、よりできるように努力することだったのかと思います。

吹奏楽をしていたときも、うまく吹けないし、みに来てくれる母に褒めてほしくて。

でもうまくできないから、合奏の時も、吹いたあと、うーん。と首を傾げていたなぁと今となっては思い返せる。

うまくならないと意味がないから、毎日練習できない環境ではやりたくなかった。

だから大学卒業してから、ほとんど吹けない。

だって、一日練習しても期間が空くと、すぐ下手になるから。

本気でしかできなくて。プロならいいけど、そうじゃないし、音楽は大好きなのに、今も少しも関われない。

なぜ、そう思うようになったのか?

まだ気がついていないこともたくさんあるんだろうけど、一つ思うことは、学生時代の勉強。

私はものすごくというわけではないですが、まぁまぁ、勉強ができた方でした。

中学の時に5教科のテストで450点以上とらないとダメだった。ダメというのは、親からそう言われていたということであって、当時は辛いとかはなく、なんとか頑張ろう!!って思って勉強していた。

できて当たり前、できるようになりたい→できなきゃいけない

にいつの間にか変わっていたのかもしれない。

だからこそ、過呼吸になったし、その後も気分の浮き沈みが激しくてしんどかった。

気持ちが沈んだり、めまいがしたり、食欲がないときには、自分のココロとカラダについて少しずつ考えてみてほしい

変わっていったきっかけ

人に話をきいてもらった

ファシリテーションや心理学を学ぶ中で、聞いてくれる人が何人もいたこと。

少し完璧がゆるんでは戻り、ゆるんでは戻りの繰り返しでしたが、何度も気づきがあり、少しずつはましになってきた気がします。

ブログでうまくできなくてもアップし続けたこと。

それでもできないできない、こんなんじゃ全然ダメと言っていた私。

最初のころは、こんなものでアップしてもよいのか??

うまくかけない。と言っていました。

毎日あげることを目標にしていたので、自分の中で中途半端と思うくらいでもアップしてみる。

そうすると、自分の想像とは違う反応が返ってきたりして、この内容でもわかりやすい!とか言ってもらえるんだなぁと、小さな成功体験ができてきました。

まだ今もできないと思うこともあるけど、とりあえずあげてみよう!と思えるように。

Facebookにあげることもかなりのストレスであげられなかったのが、少しずつあげられるように。まだまだストレスはありますが、当初と比べると大きく変わりました。

レジリエンスで自分の感情を知ったこと

レジリエンスで自分の感情を見たときに。こんなに、自己否定が強いんだーって。俯瞰して見たときに、否定しなくていいのにってどこかで思えた。

無い物ねだりではなく、あるものにフォーカスを当てることができるようになった。

心屋さんの本を読んで。

“あるって思う”って言葉にすごく気持ちが楽になった。

自分のまわりにたとえ、一人でも二人でも、目の前にいてくれる人がいるって思えたこと。

自分は大したことできない。という考えから自分だからできることがあるって思えるようになったこと。

そんなことがじわじわと私を変えていってくれている。

そう思えるにようになったことが嬉しい。